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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)8108号 判決

原告

徐満子

被告

長瀬章

主文

一  被告は、原告に対し、金一三三五万二九〇五円及びうち金一二三五万二九〇五円に対する昭和六一年七月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二三〇六万七〇七八円及びうち金二一〇六万七九七八円に対する昭和六一年七月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自転車で交差点を横断中に自転車に衝突されて負傷した者が、民法七〇九条に基づき、損害賠償を請求した事件である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和六一年七月八日午後四時一〇分頃

(二) 場所 大阪市生野区巽東三丁目一二番二号先路上(交差点)

(三) 加害車 普通乗用車自動車(大阪五九ろ三五五四号)

右運転者 被告

(四) 態様 加害者が、本件交差点を青色信号に従つて北から西へ右折中、本件交差点を横断中の原告運転の自動車に衝突して、原告もろとも転倒させた(自動車の進行方向については後記のとおり争いがある。)。

2  受傷内容、治療の経過及び後遺障害

(一) 原告は、本件事故により、右大腿骨骨幹骨折等の障害を負い、生野愛和病院において次のとおり治療を受けた。

(1) 昭和六一年七月八日から昭和六二年七月一五日まで入院

(2) 昭和六二年七月一六日から昭和六三年二月二日まで通院

(二) 原告の症状は、昭和六三年二月二日、右膝関節の可動域制限等の症状を残して固定したものと診断され、右後遺障害は、自動車保険料率算定会損害調査事務所により自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一〇級一一号に該当するとの認定を受けた。

二  争点

被告は、後記1、2のとおり主張して原告の休業損害及び後遺障害による逸失利益の額等を争うほか、後記3のとおり過失相殺の主張をしている。

1  就労可能時期、就労能力の制限の程度

原告の受傷は、もともと加療一か月程度のもので、化骨形成が不良のため入院が長引いたものであるところ、原告は、昭和六二年六月中旬頃には松葉杖なしの荷重歩行、機能回復訓練を行い、同月中の退院を指示されており、また、就労可能時期は同年七月末日頃、最終治療日は同年一二月末頃の見込みと診断されていた(なお、同年六月七日頃には再々外泊もしていた。)。

右のような事情に、通院期間中に受けた原告の治療内容(単なる運動療法に過ぎない。)等を考慮すると、原告は、遅くとも、退院してから一か月後の昭和六二年八月中旬頃からは主婦としての家事労働が概ね可能となつていたものであり、仮に労働に制限があつたとしても、その制限の程度は三五パーセント以下(労務に相当の制限がある程度)であつたというべきである。

2  後遺障害による労働能力喪失の程度及び喪失期間

原告の後遺障害は、受傷部位の症状というよりも、全身の倦怠感や神経症状といつた自覚症状を主体とするもので、家事労働に特段の支障は生じていない。また、原告が本件事故当時行つていたアルバイトも、若千勤務時間を短縮すれば可能であつて、本件後遺障害による損害発生は少ないというべきである。

そして、骨折部位の後遺障害があるにしても、それは日常生活をしていれば、徐々に馴れて、その障害を意識しなくなるものであり、これらのことからすると、本件後遺障害による逸失利益が生じたとしても、それについては労働能力喪失率は一〇パーセント以内、喪失期間は数年程度として算定すべきである。

3  過失相殺

被告は、予め付近の状況を確認してから本件交差点を右折進行したものであるのに対し、原告は、自転車に乗つて東西に通ずる道路を東に向かつて直進中、前方の信号機が赤色を表示していたため、急に進路を変更して本件交差点を南西から北東に斜めに横断を開始し、これを発見した被告が、直ちに急制動の措置をとつたが、間に合わず衝突してしまつたものである。

このような事故態様に照らせば、本件事故の発生につき、原告に相当な過失があるのであつて、四〇パーセント以上の割合による過失相殺がなされるべきである。

第三争点に対する判断

一  原告の症状の推移、治療経過及び後遺障害の内容、程度後記休業損害及び後遺障害による逸失利益の額(争点1、2)を判断する前提として、まず、原告の症状の推移、治療経過及び後遺障害の内容、程度について検討する。

前記争いのない事実(第二の一の2)に、証拠(甲二ないし七、甲一二、乙七、乙九の一、二、乙一〇、原告本人)を総合すれば、以下の事実を認めることができる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に特に用いた証拠である。)。

1  原告の受傷の内容、症状の推移、治療経過

(一) 原告は、本件事故後直ちに生野愛和病院に搬送され、右大腿骨骨幹骨折、全身打撲、左下腿擦過傷と診断されて入院となつた。そして、昭和六一年七月一四日に手術(観血的整復固定術)を受けた後、骨折部をギプス固定し、安静を保つていた(なお、同年七月一七日付の診断書では、約一か月間の加療を要する見込みとされていた。)。

その後、原告は、同年八月一六日頃から自動運動を始めるようになり、同年一〇月二七日頃からは、立位、松葉杖歩行の訓練を開始し、そして、同年一二月初め頃から少し歩けるようになり、骨折部の疼痛も次第に軽減し、同年一二月末から正月にかけて外泊も許可された(甲二ないし四、乙七、乙一〇、特に三六ないし四五頁、二二四ないし二三七頁)。

(二) しかし、骨折部の仮骨形成は順調とはいえず(主治医は、本件事故によつて骨膜も相当損傷したためではないかと推測している。)、昭和六二年三月一一日になつてようやく抜釘の手術が行われた。そして、原告は、装具と松葉杖による歩行を許可されたが、一部に仮骨の弱いところがあり、荷重歩行はゆつくり時間をかけて行うよう注意され、リハビリも徐々に行うこととされた(同年三月三一日の時点で、「強力なリハビリは時期尚早」と指示されている。)(乙一〇、特に四五ないし五七頁、二四二頁)。

(三) 原告は、その後も理学療法、運動療法等を受けていたが、回復は十分とはいえず、同年六月三日には、原告の家族から病院側に対し、「どうして骨折だけで一年もかかるのか。まだ膝が曲がらない。通院はできないのか。」などという苛立ちからの質問もなされた。これに対し、同病院の石井部長は、「骨ができるのが遅いのと骨折の部位が悪かつたとしか言いようがない。わざと長引かせているのではない。今、退院するのも結構だが、十分リハビリをしたうえで家の近くの病院に転医してもよい。まだ骨の出来は十分でなく、退院しても無理は絶対にさせないように。」などと説明し、同月末頃退院という予定になつた。

しかし、原告は、その後も全身倦怠感や節々の痛みを訴え、同年七月一五日、ようやく退院するに至つた(入院日数三七三日)(乙九の一、二、乙一〇、特に五ないし五六頁、二四二頁)。

(四) 原告は、同病院退院後も、頻繁に同病院に通院して運動療法をうけていたが、(なお、主として、患部痛、頭痛、全身倦怠感を訴えていた。)、右膝の回復は遅く、疼痛は日によつて軽減することもあるが、運動制限の改善はかばかしくなかつた。そして、同年一一月中旬には、同年一二月末で症状固定の見込みとされたが(その時点でも「ゆつくり改善している。」と診断されている。)、結局、昭和六三年二月二日になつて、症状固定の診断がなされた(通院期間二〇二日中、実通院日数一一六日)。

しかし、原告は、その後も同病院に通院してリハビリに努め、同年六月一日、通院治療を打ち切つた(症状固定以後の実通院日数五五日)(乙一〇、特に八ないし三四頁)。

(五) 原告は、本件事故当時、満三一歳(昭和三〇年二月二四日生)の主婦であり、健康で、夫及び長男(満三歳)と同居し、家事に従事する傍ら、自宅近くの食堂でパートタイム勤務をしていた。

本件事故によつて入院している間は、義妹が長男の面倒を見てくれ、退院してからも、原告が家事を十分に行えないので、昭和六三年三月末頃まで義母が家事を手伝つてくれた(甲一二、原告本人)。

2  後遺障害の内容、程度

(一) 前記症状固定の時点で、原告は、〈1〉膝関節が曲がらないため、正座ができず、トイレは洋式に限られる、自転車に乗れない、また、小さな物にも引つ掛かる、〈2〉冷えると右足が重く固まり、骨折箇所と膝が痛む、〈3〉右足のくるぶし外側の根元から甲が痛くなる、〈4〉右足が極端に外股になつている、〈5〉リハビリの後、全身が疲れて痛くなる時が多いといつた自覚症状を訴え、また、右縢の屈曲制限(自動で六〇度、他動で七〇度)、右大腿等の圧痛等が認められ、これらの症状は改善の見込みなしと診断された(ただし、この当時、歩行時痛はかなり改善されていた。)(甲六、乙一〇、特に二六、二七頁)。

(二) 一方、原告は、昭和六三年三月一七日及び同月三一日に、大阪警察病院整形外科で受診し、レントゲン所見上、右大腿骨骨幹部骨の癒合は良好である、右膝関節の可動域制限(屈曲六五度、伸展マイナス五度)、右股関節の可動域制限(屈曲一三〇度、外旋三〇度、内旋三〇度)等が認められるが、この関節可動域の制限は訓練次第である程度の改善は望み得ると診断された(甲七)。

(三) 原告の平成元年五月時点の症状は、前記症状固定時よりは少し改善されたが、前記(一)〈1〉、〈2〉の自覚症状は変わらず、また、軽い作業でも疲れると訴えている(原告本人)。

二  損害額

1  治療関係費

(一) 治療費 三二二万九二七四円

原告の治療費として右金額を要した(争いがない。)。

(二) 入院雑費 四四万七六〇〇円

原告の入院期間(三七三日間)中、少なくとも一日当り一二〇〇円(原告主張のとおり)の雑費を要したと推認できる。

(三) 付添看護費 一五二万八一四〇円

原告の入院中、相当期間付添看護を必要とし、その費用として右金額を要した(争いがない。)。

(四) 装具代 一〇万二九五〇円

原告の装具代として右金額を要した(争いがない。)。

(五) 通院交通費(請求金額二三万二〇〇〇円)一〇万〇九二〇円

原告は、生野愛和病院への通院(症状固定までの実通院日数一一六日)にタクシーを利用したことが認められるところ(原告本人)、原告宅付近から同病院までのタクシー代は片道八七〇円程度と認められる(甲一四。これに反する原告本人の供述は信用しない。)。

右の事実に、前記症状の経過(特に、歩行時痛は次第に軽減したこと)、同病院までの距離(約三・七キロメートル)(甲一四)等を併せ考慮し、右合計二〇万一八四〇円の半額である一〇万〇九二〇円をもつて相当損害と認める。

2  休業損害(請求額三六八万九八〇〇円) 三四四万五九一四円

前記のとおり、原告は、本件事故当時、家事に従事する傍ら、パートタイム勤務をしていたところ、右パートタイム勤務により、一か月六万円程度の収入を得ていたことが認められる(甲一二、原告本人)。したがつて、原告は、本件事故当時、少なくとも、昭和六一年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計三〇歳から三四歳までの年収額二六五万三五〇〇円程度の財産上の収益をあげていたものと推認することができる。

前認定の症状の推移等に照らすと、原告は、生野愛和病院を退院した昭和六二年七月一五日頃から徐々に家事労働が可能な状態になつていたものと推認することができるので、これに前記通院状況等を考慮に入れると、原告は、同年七月一六日以降症状固定日までの通院期間中、平均して五〇パーセント程度の就労能力の制限(入院期間中は一〇〇パーセント)を受けていたものと推認するのが相当である。

したがつて、本件事故により原告の被つた休業損害は、次のとおり三四四万五九一四円(一円未満切捨て。以下、同じ)と認められる。

(算式)

2,653,500÷365×373=2,711,658 〈1〉

2,653,500÷365×202×0.5=734,256 〈2〉

〈1〉+〈2〉=3,445,914

3  後遺障害による逸失利益(請求額一一二〇万六五七八円)

一一一三万六七八九円

前記のとおり、原告の症状は右膝関節の可動域制限等の症状を残して固定したものと認められるところ、本件後遺障害は、自動車保険料率算定会損害調査事務所により自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一〇級一一号に該当するとの認定を受けている(この点は争いがない。)。

そして、本件後遺障害の部位、程度、原告の自覚症状の程度、年月の経過による症状軽減の可能性、関節可動域の制限については、訓練次第である程度改善が望み得ると診断されていること等を考慮すると、原告は、右後遺障害により、前記症状固定の日から満六七歳までの間、平均して、その労働能力の二〇パーセントを喪失したと認めるのが相当である。

そこで、症状固定時である昭和六三年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計三〇歳から三四歳までの年収額二七九万五八〇〇円を算定の基礎とし、ホフマン式計算法により中間利息を控除して同人の逸失利益の現価を算出すると、次のとおり一一一三万六七八九円となる。

(算式)

2,795,800×0.20×19.917=11,136,789

4  慰謝料(請求額七三四万円) 五七〇万円

以上認定の諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた肉体的、精進的苦痛に対する慰謝料としては、傷害分、後遺障害分を合わせて五七〇万円が相当である。

(以上1ないし4の合計 二五六九万一五八七円)

三  過失相殺

1  前記争いのない事実(第二の一の1)に、証拠(乙四の一、二、乙五ないし八、乙九、原告本人(ただし、後記信用しない部分を除く。)、被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に特に用いた証拠である。)。

(一) 本件事故現場付近の状況は、別紙図面記載のとおりである。

本件交差点から北側の南北に通ずる道路(南北道路)は、南行一方通行とされ、最高速度は時速四〇キロメートルに制限されており、本件事故当時、本件交差点は、信号機による交通整理が行われていた。

なお、南北道路及び東西に通ずる道路(東西道路)はアスフアルト舗装された平坦な道路であり、本件事故当時、路面は乾燥していた(乙四の一、二、乙五)。

(二) 被告は、加害車を運転して南北道路を時速約三五キロメートルの速度で南進し、本件交差点に差しかかつたところ、手前約二三メートル付近(別紙図面〈1〉)で対面信号が青色であつたのを見て、右折の合図をしながら本件交差点に進入した。そして、〈2〉付近から減速しながら右折したが、南北道路南側の対向車線を北進してくる自転車の動静に気を奪われ、右前方の注視を怠つたまま時速約二〇キロメートルの速度で〈3〉付近まで進行したところ、前方約六・一メートルの地点を進行してくる自転車(〈ア〉)を発見して急ブレーキをかけたが及ばず、約四メートル進行した〈×〉地点(西詰横断歩道東端から約二・五メートル、南詰横断歩道北端から約五・一五メートルの交差点内)において加害車(〈4〉)前部を自転車(〈イ〉)前輪付近に衝突させ、自転車もろとも原告を路上に転倒させた後、約一・一メートル進行して停止した(〈5〉)。

なお、本件事故当時、加害車の前後を走行している自動車はなかつた(乙四の一、二、乙五、八、被告本人)。

(三) 原告は、本件事故当時、入院中の義父を見舞つた後、東西道路を東に行つたところにある自宅に帰る途中であつた。原告は、自転車に乗つて東西道路南側の歩道を西から東に向かつて進行し、本件交差点南詰横断歩道を東から西に横断するつもりでいたところ、対面の信号が赤色であつたことから、一瞬ためらつた後、南北の信号が青色であつたので、進路を変更して、本件交差点南西角付近から本件交差点に左斜めに少し入つたところ、加害車が右折進行してくること気付き、ハンドルを右に切つたが、〈×〉地点で加害車と衝突し、右側に転倒した。なお、原告は、本件交差点に進入する際、加害車を認めていたが、南へ直進すると思つていた(甲一二、乙五、原告本人)。

以上の事実が認められるところ、原告は、本人尋問において、(1)左折しようとして横断歩道の右側を北に真つ直ぐに進行したのであつて、歩道から左斜めに向いて交差点に入つたのではない、(2)被告は、減速することなく、方向指示器を出さずに右折した旨述べている。しかしながら、本件事故から三週間後に行われた警察官の取調べの際の原告の供述(乙六)、前記衝突地点、被告本人尋問の結果、被告の警察官に対する供述(乙五)と対比すると、原告本人尋問中の右供述部分はにわかに信用することができない。

2  ところで、被告は、原告が本件交差点を南西から北東に斜め横断しようとして本件事故にあつた旨主張し、前記衝突地点、原告の「道路を横断しようとして左斜めに向かつて交差点に入つていつた。」旨の警察官に対する供述(乙六)等は、右主張を裏付けるかのようである。

しかしながら、まず、原告の右供述は曖味であり、原告が本件交差点を南西から北東に斜めに横断しようとしたものと直ちに認めることはできないこと、原告は、本件交差点内を進行してくる自動車の存在を認めていたものであり、このような場合に交差点を斜めに横断しようとすることは大人の行動としては通常考えられないこと、原告は、東西道路の対面信号が赤色であつたことから、停止することなく、そのまま大廻りに左折して西詰横断歩道右側(交差点内側)に進入した可能性も否定できないこと(そして、加害車が右折してきたことに気付き、これを避けようとしてハンドルを右に切つて、前記地点で衝突し、右側に倒れた。)等を考慮すると、本件証拠上、原告が本件交差点を斜め横断しようとしたものといまだ認めることはできないというべきである。したがつて、この点についての被告の主張は採用しない。

3(一)  右の事実によれば、被告は、対向車線を気にする余り、右前方、特に横断歩道付近の安全を十分に確認することなく、右折進行した過失があつたものであり、その落度は大きいというべきである。

他方、原告としても、道路を横断するに当たつては、前方左右の安全を確認して横断を開始すべき注意義務があつたところ、前方から進行してくる車両の動静を十分確認することなく、本件交差点を横断しようとしたため、本件事故に至つたのであるから、原告にも相当程度過失があるといわなければならない。

(二)  右の双方の過失の内容、程度、衝突場所等を考慮すると、原告と被告の過失割合は、原告二〇パーセント、被告八〇パーセントとするのが相当である。

そこで、前記損害額合計から二割を減ずると、二〇五五万三二六九円となり、これが被告が原告に対して賠償すべき損害額となる。

四  損害の填補

1  原告は、本件損害賠償の填補として、次のとおり合計八二〇万〇三六四円支払いを受けた(争いがない。)。

(一) 治療費として三二二万九二七四円

(二) 付添看護料として一五二万八一四〇円

(三) 装具代として一〇万二九五〇円

(四) 休業損害その他内金として三三四万円

2  右の金員を控除すると、被告が原告に対して賠償すべき残損害額は、一二三五万二九〇五円となる。

五  弁護士費用(請求額二〇〇万円) 一〇〇万円

本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、一〇〇万円と認めるのが相当である。

(裁判官 二本松利忠)

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